石川屋の歴史

料理人から和菓子職人に。

石川屋の歴史は、古く寛永年間にまで遡ります。とはいうものの、現在の石川雇の創業というわけではなく、のれん伝承というカタチです。
初代店主は、金沢の有名料亭で板長を務めるほどの腕がたつ料理人でした。その頃の料理人は、料理以外にも和菓子を作る技術も求められていたため、和菓子職人への転身は違和感がなかったのだと思われます。
縁あって石川屋を引き継いだ初代店主は、美味しい和菓子を提供することを使命と考え、毎日お菓子作りに没頭し続けていました。
当時の店舗には、現在でいうイート・インコーナーがあり、四高(旧制第四高等学校)の学生が連日訪れ賑わっており、その四高をもじって「忠考まんじゅう」という商品も販売されました。

二代目、そして三代目へ。

二代目店主の頃は、洋菓子にもチャレンジしており、クリスマスケーキなども作っていました。今のような生クリームではなくバタークリームが主流だった頃の話です。もちろん、和菓子の商品開発にも余念がなく、現在では販売しておりませんが「大名羊羹」や、今や全国区となった「かいちん」などを作り出しました。
現在の店主(三代目)は幼い頃から和菓子に触れて育ったため、あとを継ぐことは必然と考えており、大学を卒業してから他店へ修行に行く予定でした。しかし、二代目店主が病気となり、地元に帰ることを余儀なくされました。
当時の従業員から指導を受け、めきめき腕をあげる三代目でしたが、二代目からは一度も褒められたことはありませんでした。ある日、母親から「最近腕をあげたな」と父の言葉を伝えられたことが、唯一の自信と誇りになりました。

和菓子の持つ本質を大切に。

二代目が他界してから約00年。三代目は、残された配合表は絶対見ないことを決めているという。見れば、二代目の味は再現できても、超えることは絶対できないからと。
また、夜中に思いつくアイディアを書き留めるため、枕元には必ずノートを置いている三代目。これまでに「オリジナルデザインの最中」や「校章入り紅白まんじゅう」「お家で和菓子作りキット」など様々な新商品を生み出してきました。
しかし、根底にある和菓子の本質を崩すつもりは全くありません。春には春の、秋には秋の和菓子があるように、季節や行事により異なる和菓子を楽しんで欲しいという、初代から引き継がれた「心」を大切にして、今後も味の追求をしていきます。